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《新杉田ボウルにて》
新杉田ボウルがいつの間にかマンションに建て替えられていて衝撃を受けた。いつ閉店したのかその場で検索してみた。2016年のことと言うから、僕が人生2度目の引きこもりだった最中だ。当たり前に全ての情報を遮断していたので、単に知らなかったのだ。
ボーリングは好きだが異様に苦手だ。ボーリングに触れる機会の数と、上達度合いの見合わなさは、我ながら常軌を逸している。
それと僕は投球フォームが気持ち悪いと言われがちで、とても投げやりな気分になる。上達を放棄して、そのままで継続することを責務であるとすら考えるのだ。
そんな感じで、新杉田ボウルでも、僕の投球は常に精彩を欠いた。というか、周りのレーンにいる中〜上級者に圧倒された記憶しかない。上手い人の多いボーリング場だった。
高校生の頃、学校帰りに同じ部活の人たちと、新杉田ボウルに遊びに行ったことがある。ボーリングを遊ぶのは人生2度目くらいの僕は気が進まなかった記憶がある。子供の頃から新しいものは苦手だった。新しい娯楽や、新しい人間関係といった事柄を、成長の為に必要とゴリ押してくる人を、信じられねえ、何の権利で俺に言うの?と避けていた。しかし、部のまとめ役が甘え上手で、微妙に断りにくい要望をお願い式に連投するので、面倒だけど、そう言うのなら、と、少しの倦怠感を醸しつつ従っていた。今考えるとあまりに僕は他力本願な発想で生きていた。そんなわけで、自意識で作り込んだ低音ボイスに、意図しない高音域の倍音が混じって、妙に耳障りな発声の少年たちは何やかやとはしゃぎつつボーリングに赴いたのだった。
個人成績は、ストライクとガーターが、はっきりし過ぎていて、全くスコアがまとまらない投球だった。ストライクやスペアの後にガーターを出し、点数加算の得られない無駄の多い内容だった。今もその悪癖は毎回のようにあり、おそらくこれからも治らないだろう。これまでの経験が物語っている。
時々、現在ヤオコー磯子店のある場所付近に、かつて磯子ボウルというボーリング場があったと、断言する人に会う。世代的に知ってて当然と強く言われたのだが、申し訳ないことに僕は全く記憶にない。
ハロハロハウロー
ーマンモスプールの思い出ー
現在、横浜プールセンター、通称根岸マンモスプールは、老朽化により休眠施設となっている。あまりに長い眠りについている。電車の窓から、思い出が苔むして風化していくのを見るのは、正直微妙だ。
僕は流れるプールが好きで、2時間3時間は余裕で浮き輪を使用して流れている。ことがあった。水辺のレジャーにはもう何年も縁がない。元々全く泳げない上、体型も見苦しい自覚があり、いても辛いだけだ。
流れるプールはとにかく素晴らしい。無理矢理例えるならば、バスケのフリースローが撃った瞬間、入ったと解るような、脱力しながらも、実力以上を発揮している感覚。それが流れている限り続くのだ。
マンモスプールにも流れるプールがあった。子供の頃の僕はやはり流れていた。そして、それが好きな理由などちまちまと考えず、夕方近くまで流れるのだ。
ある時、プールの隅に、側溝のようなダクトを見つけた。僕は近寄ってそれが何なのか確かめようとした。後に排水口と知る。僕は慣れない潜水を試みて顔を近づけようとした。猛烈な力で体ごと引きずり込まれ、脱出できない。もがいてもがいて、プールの縁に手が届き、死に物狂いで水面に出ることができた。「小5でそんなことになってるヤツいないって」と友人たちは笑っていた。死んだらどうする、とは言えない間柄だった、友人にも親しさのグラデーションがあるのだ。
マンモスプールをあのまま放置するのは悪手だろう。何しろ景観が悪い。プール再開にこだわることもないはずだ。野外劇場や、近年隆盛のストリート競技の施設、モータースポーツのサーキット等、どうとでも跡地利用はできそうなものだ。例に挙げたのはただ僕の思いつきだが、実際きちんとしたプランを持ってる人はいるだろうし、とにかくあれは何とかして下さい、お願いしますよ!横浜市。
ハロハロハウロー
ー横浜線今昔ー
磯子という地域は何十年も街の造りとして変わらないような印象が強い。横浜18区において年々と取り残されてゆく場所と僕のような化石の価値観に生きる者でさえ危機感を覚える。いつか、大きなテコ入れが必要にはなってくると予想する。でなければ、人口減の社会にとって、この土地にはバリューがなさすぎるのだ。
とはいうものの、この磯子にも、今は痕跡も見当たらないほどに変化した場所はあり、僕は懐かしく思い出す風景は少なからず存在する。ただし、多くは変わるべくして変わったというのが実情で、それらが新旧交代したことで、便利で美観もよく、安全なものになったという利点は認めざるを得ないだろう。
磯子駅はJR線の車両基地があり、国鉄時代から根岸線と横浜線が乗り入れていた。僕が子供の頃、横浜線は今の価値観では考えられないほど、貧乏な電車だった。その時代でも旧式だった鋼鉄製の103系車両を使うのはまだいいとして、奇数車両に青いカラーリング、偶数車両に黄緑色を使用するツギハギな連結で運転していた。京浜東北線と山手線の古くなって要らなくなった車両を流用していたと推測される。その上先頭に『横浜線』とでかでかとペイントしたプレートを掲げるという絶望的なダサさ。子供心にこれに横浜を名乗られるのは心外だったのを覚えている。
平成になり、横浜線も軽量金属車体へと悲願のモデルチェンジを遂げた。233系(2024年時点)という、ほどほどの中古車両なのも、横浜線らしい。
今から20年近く前に、逗子行きの横浜線をバイトの通勤時によく見かけた。誰に聞いても首を捻るくらい知られていない。いつの間にか廃止になったようで、事実だったか、僕のサボって遊びに行きたい衝動が見せた幻なのかは今となっては朧である。
ハロハロハウロー