プリン

午後は急遽プリン作りのプログラムになりました。
ワーポーで作るプリンは三回目ですが、今までで一番美味しいプリンができました(*^^*)
お店で出るプリンみたいでしょ?
ビューティー講座

講座の始めはセルフマッサージ。アンチエイジングに効くマッサージです。
マッサージの後はネイルを楽しんだり、香水を試したりしました。
男性も女性も大歓迎です\(^o^)/
ぜひいらしてくださいね。
㊟写真のネイルは職員の私物です
調理プログラム ~キンパとサバ缶スープ~
調理プログラムでキンパを作りました。キンパは韓国の海苔巻きです。
巻き簾を初めて使うメンバーさんもいましたが、みんな上手に巻けていました\(^o^)/
サバ缶スープはサバの水煮缶を使った簡単なスープです。ぜひお家でも作ってみてください。
失われた磯子の風景(4)
〜昔の磯子区庁舎〜
昔の磯子公会堂にもよく通いました。月一くらいで映画の上映会がありまして、毎回のように観に行っていました。娯楽というより教育的要素の強い作品ばかりでしたが、僕はNHK教育テレビを暇つぶしに見るような子供だったので特に苦にはしませんでした。
ある時、磯子公会堂で、『となりのトトロ』が上映となり、その時だけは、普段はまばらな客席が満席になっていました。そして同時上映の『火垂るの墓』開始後、三分の二以上が席を立って帰りました。暗い話は聞きたくないんだそうです。その上クラスのリーダーに抜擢されがちな、成績よく、社会的意識の高い同級生も上映途中で、普通に席を立って行きました。後から聞いた談話では、火垂るの墓の内容が嫌で帰ったわけではなく、「となりのトトロとセットで上映する方法が許せなかった。これは子供も自分たちの作品も馬鹿にしていると思う。火垂るの墓は貴重な話だとは思うけど、トトロで客を集めておいて、という大人の計算が見えてとても嫌だった。」と、その人は言っていたのだそうです。断じて僕は言ってませんからね。
僕は最後まで観ました。しかし感想ノートに数行の文法を誤った作文を書いて、職員の方に提出して、それだけでした。人間には情緒や感受性にすら格差があるというのでしょうか。
それはともかく磯子区の旧庁舎、あれが今も現存していてほしいとは、利便性や防災の観点から、ほとんど思えないのですが、時々妙に懐かしくなったりします。いつもいつも昔の話ばかりしていますが、意外に前に進む原動力になりますよ、振り子の原理みたいな。
ハロハロハウローでした。
失われた磯子の風景(4)
〜昔の磯子区庁舎〜
ハロハロハウローです。
磯子区総合庁舎は平成の初めに建て替えられていて、現在の場所に煉瓦色の旧区庁舎がありました。古めかしくて、天井が低くて、狭い建物だった記憶があります。僕は運転免許取得にあたり、住民票の写しが必要だったので、旧区庁舎に手続きに出かけたことをはっきりと覚えているので、少なくとも平成7年ごろまでは旧区庁舎は機能していたはずです。収入印紙を自販機で買って、戸籍課に行くだけのことに、入り組んだ通路をさまよって、かなり苦労しました。
一方、僕が子供のころ、区の図書館は現在の磯子センターの4階と5階にあり、僕は1人で図書館に行っていました。児童図書などライトな書籍は5階、堅い内容の本は4階に集めてありました。そして昔の磯子図書館は、窓に面したカウンター席があって、その頃は首都高速という便利なインフラもこの辺りまでは延伸されていなかったので、日清の工場など、根岸湾が一望できるほど見晴らしがよかったんです。僕は、5階のカウンター席における喧騒を避けて、5階の蔵書を4階に持って行って、争いのない展望とノイズのない読書を楽しんでいました。しかしながら世の中、少数派には常に迫害がついて回るもので、司書の方から、本があちこちに移動すると困るから、4階で本を読むなら4階の本を読んでほしいと、やんわりと注意を受けました。そこで僕は、4階のつまらない本には何の用もないし、5階の図書館の体を成していない無法状態を注意はしないんですか、とは到底主張できず、横浜こども科学館のフリーパスを買ってもらって、中2階の蔵書を読むようになりました。大人にとって相当厄介な子供だったんでしょうね。
(次回へ続く)
ワールドカップ優勝侍JAPAN
ワールドカップ2026
来年ワールドカップ2026アメリカ大会
見るの楽しみです。
色んな選手がんばってください。
侍JAPAN優勝してほしいです。
侍JAPAN優勝!!!!!
ワールドカップ日本優勝
R6年9月5日(木)に、埼玉スタジアム2002で行われた、ワールドカップ大会アジア最終予選7-0で日本が中国に快勝しました。
ゴールを決めたみんなと選手のみんな、遠藤選手、三苫選手、南野選手、伊藤選手、前田選手、久保選手。みんなよかったです。
R6年10月15日(火)オーストラリア戦接戦でした。1-1同点でした。
ワールドカップ優勝日本JAPAN!!
感動しました。
ワールドカップチャンピオン
サッカー日本代表JAPAN優勝!!
関水真衣
まちがいさがしのこたえ
こたえの掲載が遅くなり申し訳ございません。
まちがいさがしは、お楽しみいただけましたでしょうか?
ご覧いただきましてありがとうございました。
失われた磯子の風景(3)
《新杉田ボウルにて》
新杉田ボウルがいつの間にかマンションに建て替えられていて衝撃を受けた。いつ閉店したのかその場で検索してみた。2016年のことと言うから、僕が人生2度目の引きこもりだった最中だ。当たり前に全ての情報を遮断していたので、単に知らなかったのだ。
ボーリングは好きだが異様に苦手だ。ボーリングに触れる機会の数と、上達度合いの見合わなさは、我ながら常軌を逸している。
それと僕は投球フォームが気持ち悪いと言われがちで、とても投げやりな気分になる。上達を放棄して、そのままで継続することを責務であるとすら考えるのだ。
そんな感じで、新杉田ボウルでも、僕の投球は常に精彩を欠いた。というか、周りのレーンにいる中〜上級者に圧倒された記憶しかない。上手い人の多いボーリング場だった。
高校生の頃、学校帰りに同じ部活の人たちと、新杉田ボウルに遊びに行ったことがある。ボーリングを遊ぶのは人生2度目くらいの僕は気が進まなかった記憶がある。子供の頃から新しいものは苦手だった。新しい娯楽や、新しい人間関係といった事柄を、成長の為に必要とゴリ押してくる人を、信じられねえ、何の権利で俺に言うの?と避けていた。しかし、部のまとめ役が甘え上手で、微妙に断りにくい要望をお願い式に連投するので、面倒だけど、そう言うのなら、と、少しの倦怠感を醸しつつ従っていた。今考えるとあまりに僕は他力本願な発想で生きていた。そんなわけで、自意識で作り込んだ低音ボイスに、意図しない高音域の倍音が混じって、妙に耳障りな発声の少年たちは何やかやとはしゃぎつつボーリングに赴いたのだった。
個人成績は、ストライクとガーターが、はっきりし過ぎていて、全くスコアがまとまらない投球だった。ストライクやスペアの後にガーターを出し、点数加算の得られない無駄の多い内容だった。今もその悪癖は毎回のようにあり、おそらくこれからも治らないだろう。これまでの経験が物語っている。
時々、現在ヤオコー磯子店のある場所付近に、かつて磯子ボウルというボーリング場があったと、断言する人に会う。世代的に知ってて当然と強く言われたのだが、申し訳ないことに僕は全く記憶にない。
ハロハロハウロー
失われた磯子の風景(2)
ーマンモスプールの思い出ー
現在、横浜プールセンター、通称根岸マンモスプールは、老朽化により休眠施設となっている。あまりに長い眠りについている。電車の窓から、思い出が苔むして風化していくのを見るのは、正直微妙だ。
僕は流れるプールが好きで、2時間3時間は余裕で浮き輪を使用して流れている。ことがあった。水辺のレジャーにはもう何年も縁がない。元々全く泳げない上、体型も見苦しい自覚があり、いても辛いだけだ。
流れるプールはとにかく素晴らしい。無理矢理例えるならば、バスケのフリースローが撃った瞬間、入ったと解るような、脱力しながらも、実力以上を発揮している感覚。それが流れている限り続くのだ。
マンモスプールにも流れるプールがあった。子供の頃の僕はやはり流れていた。そして、それが好きな理由などちまちまと考えず、夕方近くまで流れるのだ。
ある時、プールの隅に、側溝のようなダクトを見つけた。僕は近寄ってそれが何なのか確かめようとした。後に排水口と知る。僕は慣れない潜水を試みて顔を近づけようとした。猛烈な力で体ごと引きずり込まれ、脱出できない。もがいてもがいて、プールの縁に手が届き、死に物狂いで水面に出ることができた。「小5でそんなことになってるヤツいないって」と友人たちは笑っていた。死んだらどうする、とは言えない間柄だった、友人にも親しさのグラデーションがあるのだ。
マンモスプールをあのまま放置するのは悪手だろう。何しろ景観が悪い。プール再開にこだわることもないはずだ。野外劇場や、近年隆盛のストリート競技の施設、モータースポーツのサーキット等、どうとでも跡地利用はできそうなものだ。例に挙げたのはただ僕の思いつきだが、実際きちんとしたプランを持ってる人はいるだろうし、とにかくあれは何とかして下さい、お願いしますよ!横浜市。
ハロハロハウロー
失われた磯子の風景(1)
ー横浜線今昔ー
磯子という地域は何十年も街の造りとして変わらないような印象が強い。横浜18区において年々と取り残されてゆく場所と僕のような化石の価値観に生きる者でさえ危機感を覚える。いつか、大きなテコ入れが必要にはなってくると予想する。でなければ、人口減の社会にとって、この土地にはバリューがなさすぎるのだ。
とはいうものの、この磯子にも、今は痕跡も見当たらないほどに変化した場所はあり、僕は懐かしく思い出す風景は少なからず存在する。ただし、多くは変わるべくして変わったというのが実情で、それらが新旧交代したことで、便利で美観もよく、安全なものになったという利点は認めざるを得ないだろう。
磯子駅はJR線の車両基地があり、国鉄時代から根岸線と横浜線が乗り入れていた。僕が子供の頃、横浜線は今の価値観では考えられないほど、貧乏な電車だった。その時代でも旧式だった鋼鉄製の103系車両を使うのはまだいいとして、奇数車両に青いカラーリング、偶数車両に黄緑色を使用するツギハギな連結で運転していた。京浜東北線と山手線の古くなって要らなくなった車両を流用していたと推測される。その上先頭に『横浜線』とでかでかとペイントしたプレートを掲げるという絶望的なダサさ。子供心にこれに横浜を名乗られるのは心外だったのを覚えている。
平成になり、横浜線も軽量金属車体へと悲願のモデルチェンジを遂げた。233系(2024年時点)という、ほどほどの中古車両なのも、横浜線らしい。
今から20年近く前に、逗子行きの横浜線をバイトの通勤時によく見かけた。誰に聞いても首を捻るくらい知られていない。いつの間にか廃止になったようで、事実だったか、僕のサボって遊びに行きたい衝動が見せた幻なのかは今となっては朧である。
ハロハロハウロー
毛糸でぞうとハートマークをかきました
毛糸でぞうとハートマークをかきました。関水真衣


パリオリンピック
五輪オリンピックについて
パリオリンピック始まります。
7月24日から開催されるそうです。
開会式は7月26日だそうです。
日本の皆さん金メダルめざして
がんばってください。
関水真衣
サッカー
サッカー部に入りたいです。
みんなに勝った気がします。イギリスに行って。
世界のワールドサッカーチャンピオン女王になりたいです。
未来に向けて。
ドリブル、シュート、ディフェンス
全部できます。勝ちました。関水真衣の勝利です。
関水真衣
英語の勉強
類義語の研究
sylph 空気の精 water nymph 水の精
elf 妖精 fairy 妖精
関水真衣
新年のごあいさつ 2024
新年あけましておめでとうございます。
新年早々から能登半島が震災に見舞われるなど前途多難な年始となりましたが、悲嘆に終わることなく、わが身をふり返る機会ととらえ、日ごろから助け合える関係づくりに力を注いでいきたいと気持ちを新たにしています。
さて、新年初日となる本日の活動ですが午前中は岡村天満宮へ初詣に行くため、わーくぽーとは閉所となります。午後13時から開所しています。
今年もよろしくお願いします。
ワークポート根岸橋 鈴木
エッセイ
「レンタルCD店には小宇宙があった」
平成初期、僕の自宅の最寄り駅前には、個人経営のレンタルCDショップが店を構えていた。店舗は狭く、ごちゃごちゃした陳列で、最初はどこに目当ての音源があるのか全く分からなかった。流行りものの入れ替えが激しい上、店主こだわりの円盤がいつまでも目立つように置いてあって、ほとんどカオスだつた。そのおかげでスネークマンとか初期のTHE BOOMのヘンテコで楽しげな音源に出会えたので、いまだに僕は店主の親父さんに感謝しているのだ。
あえてトライアンドエラーで好きな音楽を探したいんだ!と頑なに思い込んでいた、インターネット環境のない20才前後の僕のような者は当然外ればかり掴まされた。とはいえ、世間一般的には名盤の誉れ高い音源と後に知る。単に主観的な好みの問題だったようだ。僕はその認識なく、1970年代パンクのことを、あれはダメだねと誰彼なく語り、振り返ると、あれは恥知らずだったよなと思うのだ。だったらニルヴァーナとかU2もダメと言わなきゃ話の整合性取れないのに。
数年後、TSUTAYA等の大型店舗+全国チェーン展開の企業レンタルショップの攻勢(これも太古の話ですね)により、駅前の小さなレンタルショップにも、残念なことに閉店の時が来た。
閉店セールとして、店のレンタルCDはすべて売りに出され、値段は大盤振る舞いという名の投げ売り価格が付けられていた。実情手元にあっても邪魔だったのだろう。
僕は閉店セール初日の午前中に足を運んだのだが、目星い音源はほとんど売れた後だった。普段は見かけない客も棚を鋭くチェックしていて、個人的には世間の世知辛さよとしか思えない記憶だ。
僕は島唄のヒットで知られるTHE BOOMの初期の初期な音源を買って帰ることにした。A peace time BOOMというアルバムで、1989年リリースのBOOMのメジャーデビュー作である。帰ってCDを再生すると、軽快なスカのビートに乗せて、幼稚なようで実はすれすれのことを歌う、あの頃の彼らの勢いと危うさが部屋に流れ、新しい発見があった。そういえば歌詞の意味を考えたことなかったなと。
ところがこのCD、盤面に数多の傷が入っており、すぐに再生不良を起こした。メガネ拭きで丁寧に復旧を試みたのだが、聴けなくなってしまった。非常に惜しかったが、捨てるしかなかった。入手価格は100円とはいえ、値段の問題ではない。ただ残念だった。
現在僕はCDで音楽を聴くことはあまりしなくなった。優れた曲でも動画込みでないと物足りないという飽食ぶりだ。当時よりはるかにテクノロジーの進化した社会で、個人的には失ったものも多いと理由もなく感傷的な気分になる。あの闇雲な労力を絶対にもう一度費やしたくはないとはいえ。
Written by ハロハロハウロー
ブルービート研修記
あまり知られていないことだが、僕(とっしー)とブルービート施設長イケヤシロウさんとは同い年である。たぶん悪い意味で信じてもらえないことと思い言い難かった。僕は同級生とは十何年も会えていないので、世の中の47才と同席できたこと自体をひそかに嬉しく思っていた。イケヤさんは物腰が柔らかく穏やかな人だ。しかしながら、美意識が高く好き嫌いある人とも感じた。例えば、僕と話すとき、イケヤさんは少し片方の眉を上げて、他の人より相槌の数が3分の2くらいに減る。あまり僕の話か話し方に好きじゃないところがあるのだと思っている。
そんな根拠に乏しい憶測はともかく、僕はブルービートで、個人的に目的としていた詩のワークショップに参加した。鈴木施設長がギターで奏でるスリーコードブルースに乗せて、参加者たちの製作した言葉のパッチワークをスポークンワーズ風に歌い上げるという、僕も未だ馴染みのない試みだった。参加した人は僕と鈴木施設長と、ブルービート利用者の方が一人参加してくださり、企画は暗礁に乗り上げなかった。有り難いことです。
その人は、物静かで、あまり物事をはっきりと言わないように第一印象で受け取ったものの、文章への取り組み方は真摯かつ直線的だ。なので、終始なごやかに取り組めたが、詩作作業は実質的には共作というかいい意味で競作とも言えた。詩作担当2名のアイデアは一行ごとにハサミで切り分けられ、文章の基本形を抑えつつ、全員で一つの詩に編集し練り上げていった。僕は、普段からエゴ過剰で協調性に乏しく、まして、文章を共作する事自体、あまり考えたことがなかった。なので、自分のアイデアが一つ不採用になるごとに、過剰に否定されたように思った。実際のところ、完成品は表現者たちの思いを公平に拾い上げている。
そして、完成した詩の発表の時間に。打ち合わせ通り、僕はギターに合わせて詩を読み上げ、相方さんはその言葉の合間合間に「コンドルは飛んでゆく」をリコーダーで奏でるという、大変ユーモラスかつ破天荒なパフォーマンスになった。一人で自画自賛は恥ずかしいけども、ここには3人いるんだから、誇っておかしくはないはず、僕はこの発表に謙遜する気は一切ないね!またコラボしましょう!
食事もケーキも盛り付けが綺麗で美味しく、建物の雰囲気もおしゃれで、春三月のうららかに晴れたウッドテラスでテーブルを囲んで詩作とか、とても贅沢な時間でしたね…。夢オチなんじゃないかというレベルの。
あとはイケヤさんのお父さん、冬比古さんと呼ばれている方が強力なキャラクターです。話の内容が一々不思議で、独自の魅力がある人です。僕はあの人の案内で、城山(じょうやま)に登るつもりでいます。
written by ハロハロハウロー
【小説】Cat's castle magic
第四話 100万回生きたとしても
「景色いいね」
逆光で、ヨーダの姿はシャドウ掛かっている。細い肩からストンと羽織ったオーバーサイズのシャツが強風でパタパタなびいて、今にも頼りなく消えてしまいそうだ。今まで人や物事をそんなふうに考えたことは一度もなかった。
ヨーダは僕のボーダーシャツの袖先を掴んで僕に何かを言おうとしている。
緊張の糸が千切れてしまった。何かが崩れて、外面と内面の区別が消えた。
「ヨーダ!」僕は叫んだ。
「与田麗依亜!!」
「きっと、僕を、僕のことなんて、夢を叶える頃にはきれいさっぱり忘れるんだろ!
ぜってー言うかと耐えたけど、もう言うわ!僕の人生、これから落ちる予感しかなくて、君は陽のあたる道を歩く確信がある!その差を考えていたたまれないよ!
どうして僕なんかを構う?はっきりと言うなら僕は心に深手を負うと分かりきった事態を自ら抱え込むのは辛い、これ以上はもう辛いだけなんだ!」
一瞬猫のように目を見開いたヨーダの返答は辛辣だった。僕のことを勘が働くだけに哀れだと言っていた。僕が泣くことを至極当然だと笑みを浮かべて断言した。
あぁ神様!!因果も善悪も前世も業も大きなお世話だよ!大して生きてもこなかったのに再来週には20歳だよ!願い事は今日沈む夕陽を頼むからもう一度東から昇らせてくれ!時間が戻ると知っていれば、ヨーダにこんな卑屈なぶっちゃけを言う未来ごとなかったよ!この先何十年、僕はヨーダのそばにいられない人生を生きなきゃいけない?親友とメンターを同時に失って本当にゴミですらないんだ!
少なくともこの世に一人、僕を軽蔑する人が増えた。この世の終わりではないが、手足は鉛のようだ。生きていれば生き直すこともできるが、テンパって言っただけの一言がいつまでも自分を苦しめることも確実にあるのだ。
(終)
written by ハロハロハウロー
【小説】Cat's castle magic
第三話 猫タワーとは その2
「バリケード高」僕は引き返したかったが、ヨーダに軽視されるのは不本意だった。「平気、まず扉の上にジャンプで両手を掛けたら、一気に片足を鍵の部分に載せて全身を上に引っ張る、簡単だよ」ヨーダは難なく扉の向こうに着地した。ヨーダより推定20センチほど長身の僕にそれができないとは、言いたくない。しかし僕は身体が硬い上、筋肉が体重+αの負荷を支える設計になっていない。扉を派手に軋ませて僕はバリケードを乗り越えた。「猫の大群いる」猫タワーの奥から模様も体格も様々な猫がミャーミャーミャーミャーと寄ってきた。誰かが餌を与えているのだろう。僕らを全く警戒する様子がない。とはいえ、日の光の差さない屋内では猫の目は不気味に発光する。僕は後ずさりしそうになる。「大丈夫、この子たちは大切にされてきて性格もいい、たぶん」ヨーダは斜め掛けにしたカバンからビーフジャーキー等の酒のつまみを取り出して与える。子猫を優先させる群れの絆が微笑ましい。しかし、毎食これを食わされたら彼ら逆にかわいそうなことになってしまう。僕はこの思い付きが何故かツボにはまってしまい、ひそかにジャバ・ザ・ハットの笑みを浮かべた。建屋の構造は、頑丈にできているようで、危険は少なかった。これまで取り壊しをしなかったのは、壊すためのコストがかかって難しかったのだろう。しかし、あちこちに錆びた鉄筋が突き出ていて、ボーっと歩くわけにもいかない。「屋上あるんだ、この建物」階段を登り切ると、頭上には夕焼け雲がミルフィーユ状にたなびいていた。5月も終わり、梅雨入りが近いとは思えないほど西側に開けた風景は遠くまで見通せた。 (続く)
written by ハロハロハウロー